2009年10月12日
帆が歌つた 丸山薫
暗い海の空で羽博〔はばた〕いてゐる鴎の羽根は、肩を回せば肩に触れさうだ。
暗い海の空に啼いてゐる鴎の声は、手を伸ばせば掌に掴めさうだ。
掴めさうで、だが姿の見えないのは、首に吊〔つる〕したランプの瞬〔またた〕いてゐるせゐだらう。
私はランプを吹き消さう。
そして消されたランプの燃殻のうへに鴎が来てとまるのを待たう。
ランプが歌つた
私の眼のとどかない闇深く海面に消えてゐる錨鎖。
私の眼のとどかない闇高くマストに逃げてゐる帆索。
私の光は乏しい。盲目の私の顔を照らしてゐるばかりだ。
私に見えない闇の遠くで私を瞶〔みつ〕めてゐる鴎が啼いた。
鴎が歌つた
私の姿は私自身にすら見えない。
ましてランプや、ランプに反射してゐる帆に見えようか?
だが私からランプと帆ははつきり見える。
凍えて遠く、私は闇を回るばかりだ。
丸山薫(1899/明治32年—1974年/昭和49年)といえば、人はどんな像を思い浮かべるのであろう。丸山は幼時を回想して、「故郷への思いの育たなかった私の胸中には、その代りいつしかエトランゼエの思いがはぐくまれていた」と書いている。この「エトランゼエの思い」はやがて船乗りへの夢を育むが、健康を害して、その夢は挫折する。そして、第一詩集『帆・ランプ・鴎』が出版されたのは1932年。その前年には満州事変が起きている。
収録詩篇のひとつ、「砲塁」は前に取り上げたことがあるので、今回は、詩集のタイトルとなっている「帆」「ランプ」「鴎」それぞれが歌われている詩を取り上げることにした。この三篇はまとめて発表されたようで、明らかにひとつの主題のもとに書かれたものであろう。自伝によれば、「昭和初期に擡頭した『詩と詩論』を中心とする新詩精神の影響は、自分の詩の形式の上に凝縮作用をおこさせ、それまでの情景主義のロマンティスムを心象的に内向させた。その結果が『帆・ランプ・鴎』であ」るというが、「掴めさうで、だが姿の見えない」ものに「手を伸ば」そうとする詩人は、新詩精神の影響を越えて、やがて独自の抒情を拓いていく。「私は自分の作品に一貫して流れてゐる一つのつよい傾向を看取することが出来る。それは物象へのあるもどかしい追求欲とそれへの郷愁の情緒である」ということばは、そのまま上記の詩の成り立ちを語っているようでもある。(09.10.12 文責・岡田)
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